支部の紹介(沖縄地区本部組織構成図)

空軍支部概要

1962年10月12日、コザ自由劇場において、200名余が集結して(空軍労働組合)の結成大会が開催され、労働組合としての第一歩を踏み出した。当時の沖縄は、米軍統治下にあり、基地労働者の動きを厳しくチェックしていた状況下で、自らの生活と労働者としての権利を獲得するために、組合を結成しました。その後1964年6月に全軍労に加盟し、1978年9月には全駐労として活動してきました。そして、2017年に結成55年目を迎えました。
組合は、その当時、強大な米軍権力に立ち向かい、35日間ストライキや、鉢巻き闘争などを展開しました。その結果、全軍労闘争は、沖縄激動における労働運動の中で、全軍労の闘いは、人間回復の闘いとして称されてきました。
現在、空軍支部の組合員数は、1900名若で推移しており、多くの組合員が嘉手納基地で勤務しております。
組織の概要としては、15分会12職場で、執行委員31名(内1名が女性)、会計監査3名、書記2名で構成されています。また、各専門分野として、財政部(労金・共済部)、総務部、組織部、社保・雇用部、教宣部、文化部(スポーツ部)、女性部、青年部があり、日々、組合員の総合扶助、文化活動等に取り組んでいます。

 支部は特に、組織強化・拡大に重点を置き取り組みを進め、職場で発生する問題の解決に向けて取り組んでいくことや組合のスケールメリットを活かしての自主福祉事業の拡大・推進、生活相談を行っています。また、組合員への情報提供として、ホームページ、空軍支部ニュース(すくらむ)を発刊し、教宣活動も強化しています。

マリン支部概要

全駐労マリン支部は、海軍EMクラブ支部(1965年8月8日)、マリン支部(1965年10月8日)、マリンスペシャルサービス支部(1966年5月9 日)、マリンセントラルクラブ支部(1966年7月14日)が結成され、この4支部が1966年12月19日に組織統合し、海軍マリン支部が発足。翌年1 月26日に名称を「全軍労マリン支部」へ改称しました。

 その後、1978年9月2日には全軍労と全駐労が組織統一し、1978年 9月7日には同普天間マリン支部、1979年4月11日には同警備員支部と組織統合し現在に至り今年で組合結成51年目を迎えます。事務所は宜野湾市伊佐 の全駐労会館内に、全駐労沖縄地区本部事務所、ズケラン支部事務所、マリン支部事務所が入居して活動を展開しています。
マリン支部は、在沖海兵隊基地を中心に海軍の一部職場、請負契約労働者の組合員で構成し、北は北部訓練場から南は牧港補給地区まで広範囲にまたがっている組織です。

組織は16分会あり、役員体制は執行部33名、会計監査3名、書記2名で構成され、各専門部として、組織部、教宣部、文化部、労金・共済部、財政部、総務部、青年部、女性部があり、組織の強化拡大、文化スポーツ活動、自主福祉事業の推進等に取り組んでいます。

ズケラン支部概要

全駐労ズケラン支部は、1965年5月7日、ポストエンジニア労働組合、陸軍司令部労働組合、シグナル支部、メディカル支部、バック支部の当時ズケラン地域に存在する2労組・3支部の統合により全軍労ズケラン地区支部として統合結成されました。
1970年6月1日付けでスペシャルサービス支部がズケラン支部に統合されました。
その後、1978年9月2日の全駐労・全駐労の組織統合により、その名称も全軍労ズケラン支部から全駐労ズケラン支部へ名称が変更されました。そして、1996年10月13日には、ズケラン支部、エクスチェンジ支部、陸軍牧港支部が統合し新生「全駐労ズケラン支部」として出発し今日に至っています。

また、旧エクスチェンジ支部は1964年11月6日REX支部として結成されました。以来エクスチェンジ支部は米軍権力からの様々な合理化攻撃の最先端に経たされながらも幾多の困難を乗り越えてきました。
さらに、旧陸軍牧港支部は、陸軍支部と牧港支部の統合によって、1979年8月27日に誕生し、1979年12月27日陸軍牧港支部と那覇支部の統合を実現することができました。その後、1986年12月3日ミルクプラント支部と統合しました。全駐労ズケラン支部は、その前身であるポストエンジニア労働組合結成から2017年に52年目を迎えます。
勤務施設については、北は国頭郡のオクマレストセンターから南の那覇軍港と広範囲に広がっており、軍も陸軍、海軍、海兵隊、空軍、AAFESと各軍に跨がっている組織です。

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